昨日 新聞の発表で知った訃報。
未だに、心が乱れています。
元平安堂会長平野稔さんには、お好きだった三味線音楽が縁で 一時期大変お世話になり、度々三味線を携えてお傍に伺ったものでした。
私がお会いするのは 必ずお酒を傍らにくつろがれる時で、相好を崩され柔和なお顔で私の三味線や歌を楽しまれていたお姿ばかりしか知らなかった頃のある時、お仕事に心捉われているようなご様子の大層厳しいお顔を垣間見 びっくりもしたものです。
私が思い出すのは優しいお顔ばかり。
出会ったのは、行く道に迷っていた頃の私。
甘えさせても甘やかしはしなかった。
その厳しい人となりが好きでした。
私は育てていただいたのです。
平野さんに喜んでいただきたくて ご所望の端唄や民謡を勉強した事が、結果私の芸の幅を広げる事となり、今 私の一部となりました。
自分の道を切り開くことが出来てからの最近の私、お年賀状での報告しかしていなかった事が悔やまれます。
必ず 弾いておくれと言われた「祖谷の粉挽き歌」を弾いて、ご冥福を祈るしかできないのですね。
ゆりりん Eメール 2012年01月22日(日)11時21分 編集・削除
平野さんは、田中康夫さんの飯山の選挙で知り合い
私の大好きな人です。
私も米で勉強するようになり、
長野にきたら連絡するよういつも
言われていたのに、、
勉強が忙しく、最近メールさえ送らなかったのを悔やみます。またのデートは、次にお会いする日までの
楽しみにとっておきます。
平野さんの熱い思いをみんなで受け継ぎます。
教わったこと過ごした日々知り合ったことは、私の財産です。平野さんに、たくさん自慢話ができるような生き方をします。